この春、当社にも3人の新卒新人を迎え入れることができた。大変めでたいことである。
新人さんが入社すると、もちろん育成コストはかかるのだが、それにかえがたい多大なメリットが組織に得られる。
いろいろあるが、例えば旧人が新人にモノを教える機会が増えることで、自身の持つ暗黙知を顕在化させることができる。潜在的な不文律は意識できないので変えにくいが、顕在化されれば意識の光に照らすことで批判的に検証できるため、知識の改訂もできる。
新人は旧人から見れば異文化の人なので、僕らが後生大事に守っている賞味期限の過ぎたマイルールを「それって不要じゃないですか?」と言ってくれる。
また「学年」という序列が異様に幅をきかせている日本においては、若い人はいじりやすい。突っ込みやすい。しかめつらのおじさん達には「鼻毛出てますよ」と指摘しにくいが(指摘すると怒ったりするし。感謝すべきなのに)、新人には余裕で言える。新人がいろいろ注意されているのを見て、大人達はそっと自分達も改善できる。
新人は社内ネットワークのハブになる。若いだけでかわいいので、いろいろな人が気にかけてくれる。新人は「誰それさんからこんなこと教わった」と社内にバズってくれる。大人同士では遠慮して言わない持論を新人には偉そうにぶつことができ、そういう社内言論活動が活発化する。
若くて未熟である人と、歳をとり成熟した大人がバランスよくいることで、組織全体の人材フローがスムーズになる。どこかのニュータウンみたいにみんな似たような年齢で、一斉に各自の人生のプライムタイムを迎えてしまっては組織運営は大変やりにくい。
上に行けば行くほどポストは少ない。適任者が徐々に時を経て次々と出現するような年齢構成の組織が運営しやすい。組織はピラミッド型が基本だから、若い人が多い方がやりやすい。
などなど。まだあるがこれぐらいに。
このように挙げてみると、いかに新人さんが組織にとって大事かが改めて感じられる。ありがとう、新人諸君!
逆に言えば、よくもまあ、こんな大変な役割を引き受けてくれているものだ。
こんな負荷をいきなりかけられていることが五月病と呼ばれる新人の入社直後のモチベーションダウンの原因の一つではないか。
だから旧人たちは新人から学ばせてもらい、様々なメリットを享受しているのだから、かわいがってあげ、いろいろ教えてあげることぐらいは優しくしてあげていただきたいと思うのです。
5月病の原因のもうひとつと思われるのは、「会えない時間が愛を作る」と大昔に郷ひろみが歌ったように、人の記憶やイメージの「時が立つに連れて美化されていく傾向」である。
たまに誰かに会うと、僕はよく「太った?」などと言われる。実際にはここ20年ほどあまり変化は無く、言うなれば「太ったまま」なだけなのだが、相手は変化を感じている。
つまり、相手は自分のことを美化(ってキモいですが)しているということか。実物よりもなんか痩せて恰好好い曽和をイメージしてくれていたということではないか(ありがた迷惑ですが)。
就職も同じ。就職活動の際には、いろいろ事実を調べ、人に会って話を聞き、可能な限りリアルな情報を得てから入社の意志決定をしたはずである。ところが、内定を得てからしばらく時間があるうちに脳内で会社のイメージがどんどん自分の都合のよいように美化されていく。
そして、入社して再度現実にぶちあたると、理想化されたイメージとのギャップができる(リアリティショックという)。そして5月病的状況に陥るきっかけとなる。
このように、新人は過度な負荷と、リアリティショックによって、いきなり大変な状況に放り込まれてしまうもの。
僕ら大人はこういうことを重々理解して、優しい気持ちで彼らを育てる努力をしなければならない。
若者は未来への希望であり、将来の社会や自分達を支えてくれる存在なのですから。