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なぜ自分のものにしたいのか 〜所有と利用〜

なぜ自分のものにしたいのか 〜所有と利用〜

最近、所有欲が減ってきた。
「自分のものにする」ということに価値を感じなくなってきた。

「自分のもの」にすると、日々メンテナンスが必要になる。使わない時も場所を取るし、放っておくと壊れたりする。壊れたら直さなくてはいけない。

一方、借りて一時的に利用するだけの場合、そういう煩わしさはない。日々のメンテナンスは持ち主がやってくれる。使わないときはここにないので、もちろん場所も取らない。誰かにメンテナンスされているので壊れないし、壊れても直してくれる。

だから、所有なんてしなくてもいいのではないかと思い始めている。

DVDを買う人の気がしれない。本も図書館をよく使うようになった。あるいは買ってもすぐブックオフに売り、なるべく持たない。家もクルマも他人のものを使わせてもらっている。本当は服とかもレンタルでいいのだがあいにくそんなビジネスはない。別荘を買うよりも、高級ホテルにたまに行く方がよいような気がする(行きませんが)。

断捨離ではないが(読んだことないですが)、なるべく持たない生活というのがシンプルで好きになってきた。身軽だし、家もきれいで掃除がしやすい。身の回りがシンプルできちんと整頓されていると、心も爽快な気がする。持たないことで自由な気分になり、その分、外へ出て動き回ることができる。

やっぱり、所有なんてしなくていい。

昔はなんで所有したかったのだろう。
一つには今のように公共財が豊かではなく、レンタルビジネスも成熟しておらず、使用するには所有しなければいけなかったということもあるだろう。

しかし、心理的な理由もあるかもしれないと思う。
所有をすることによって、その対象物を独占することで味わう喜びのようなものがあったのかもしれない。なぜ独占するとうれしいのか。「自分以外にその物を使わない」という状態がなぜうれしいか。処女信仰のような潔癖志向があったのかもしれない。

中古車よりも新車とか。自分の彼女が自分が最初の男であるとうれしいとか(今はまったくそんな気はない。ちなみに「男は最初の男であろうとし、女は最後の女であろうとする」という言葉があるが、傾向としては本当な気がする)。

でも、今はそういう考えは未成熟な考えのような気がする。
特に対人間に対してはそう。

自分が独占したいという思いは、裏を返せば、他の人との関係性を断ち切って相手を孤独にさせたいという思いに通じかねない危うい心理ではないだろうか。

たまに、独占欲が強く、嫉妬心が強く、すごく干渉する男女がいると思うが、それは相手に対する愛情の表れとも思うが、利己的な愛情な気もする。囲い込まねば自分から逃げていくという自信の無さの表れなのかもしれない。

でも、本当に相手のことを思うのであれば、(もちろん制限はあるだろうが)様々な人や場面との接点を沢山作ってあげて、自由に人生を謳歌させてあげて、自律した生活を過ごさせてあげて、一個人としての独立性を保った上で、パートナーとして対等につきあう・・・というのが正しい(というか僕は好き)と思う。

組織と個人の関係もそう。社員の社外での活動について、人々の意見は様々だ。所属する組織に忠誠を尽くして、すべての勢力を注ぐべきだという人はまだ少なからず存在する。一方で、組織と個人は対等で、お互いにお互いを所有というか独占することなく、必要な範囲で価値を提供しあえばいいのではないかという思想の人も最近は多い。

そもそも、人間は誰かのものになんて、けっしてならない。人に対する独占欲は、まったくの幻想でしかありえない。

何も所有せず、誰にも所有されず、自由に生きていくこと。

できれば、そういう人生を歩みたいものだ。

もちろん、実際には、そういう自分も強迫的な所有欲に苦しむこともあるのですが・・・。

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