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天命を知る 〜永遠の命を得るには〜

天命を知る 〜永遠の命を得るには〜

今日、昔の上司と渋谷で少し飲んだ(ほんとに少し。3杯ぐらい)。

辻太一朗さんと言う方。

僕の人生最初の上司で、一度一緒に会社をやっていたこともある人。

一緒にやっていたのは、採用のコンサル&アウトソーシング会社で
アイジャスト(I-JUST)という会社。ちなみに社名は辻(TSUJI)の反対。

その会社がリンクアンドモチベーションの一部として吸収され、
辻さんはそこの常務までお勤めになった。

その辻さん、今また個人として独立し、グロウスアイという会社を設立。今、各方面に働きかけて、日本の国力を再生すべく、新卒採用/就職市場の改革を図ろうと、精力的に活動されている。

大企業人事に、現在の新卒採用の問題点を説くと思えば、政治家やマスコミにも働きかける。

もちろん、学生とも直接対話。日本の学生がもっと勉強して優秀になるにはどうすればよいかを研究するため、自腹を切って学生との対話を続けているという話も聞いた。

ここでは書かないが、具体的な方法論に落とし込んで、新卒活動市場を変えていく絵を描き、着実に進めている。

新卒就職市場の問題点は、最近かまびすしく議論されている。百家争鳴と言っても良いだろう。

しかし、ほとんどの場合、理想を述べて「こうすればいい」と言うだけの批評家ばかりで、具体的に影響力を行使して、世の中を変えていこうとする「運動」までに持っていこうとする辻さんのような人は希少。

辻さんは採用のコンサルティングを生業とされているのだが、その本業と上記の「新卒市場を変える」活動とは直接リンクしない。要は、それで何か儲かるわけではない。

もともと僕の辻さんのイメージは、元リクルートらしく、エネルギッシュで自己の欲求や儲けることに貪欲。サバイバル能力の高い人。

そういうイメージと今の辻さんにギャップを感じたので、最後に「なぜ、そんなに直接的に利益にならないことを、そんなに頑張るのか」と聞いた。

そこで返ってきた答えは、「俺しかやれないし、やらないと日本(の就職市場)が数年遅れると思い、やらないといけないと思った」ということだった。

おお、かっこいい・・・。天命を知る・・・か。

同時にこうも言った。「別に計画的にそういうことをしたわけではない。出会い頭のようなもの。偶然そう思うきっかけに遭遇しただけ」自分の意思で計画をして進めたのではないということだった。

そう、天命は「やりたいこと」とかではなく、やむにやまれず「せねばならない」と思うようなことなのだった。

自分というちっぽけな存在が、小さく愚鈍な頭で考えたような卑小なアイデアに基づくものとかではなく、まさに「天」が自分に与えた「使命」なのだという感覚。これが「天命」なのだと思う。

天が用意した機会に身をあずけ、流れに乗り、その一部と化す。天の命ずることに従ってみる。

「天命を知る」とは、そういう天=宇宙=世界=時代の自分に対する要請に乗ってみるという覚悟のことなのだ。自由意志というよりも、強迫的に衝き動かされて行動することを厭わない覚悟。

普通はなんとなく「自由」の方がよいと思うだろう(僕もそうだ。尾崎もそう言ってた「自由になりたくないかい」と)。何かに衝き動かされてとか、やむにやまれず何かをするというのは、できれば避けたいもののように見える。

しかし、実際は逆なのかもしれない。自由の裏には孤独がある。誰にも左右されずに(期待もされずに)生きていくことは気楽なことでは無い。自由にしてもいいよ、と言われると途端に不安になる人もいることだろう。自由になることは、外界の影響から隔離されるということ。

一方、「天命」に身をあずけることは、自分よりも大きなものの一部になるということ。自分より大きなものとは、職場、組織、会社、業界、市場、社会、国、世界・・・というようなものである。

自分より大きなものの一部になるということは、自由を制限されるというのは事実。だのに何故なにかの一部になりたがるのかと言えば、自由の制限というデメリットよりも、はるかに大きなメリットが存在するからである。

それは、「永遠の命を得る」ということ。

人間は死ぬ。悠久の歴史の流れから見れば、それこそ一瞬で死ぬ。自分の肉体の表面までを「自分」と定義するならば、死んでしまえば全ては終わり。「自分」という存在は儚いものだ。自分を自分の個の肉体までとしか思えない人は、あらかじめ絶望の中にいる。

しかし、どこまでを「自分」として実感を持って思えるかによって、「自分」の命は伸び縮みする。例えばもし、家族まで含めて「自分」と思えるのであれば、家族が存続していくイメージによって、自分の命の永遠性に対する確信が芽生える。

さらにもっと大きなものへ、「自分」の領域を広げることができるのであれば、その大きなものの寿命が自分の寿命となっていく。

もし、「自分」を、世界とか人類とかにまで拡張することができれば、その人は(半)永遠の命を得る(気持ちになれる)ことであろう(もしかすると、マザー・テレサなどはそういう人なのではないだろうか)。

ただ、それは、現代人にとってはとても難しい。

そもそも日本人は「自然とは対立し征服するものではなく、共存・共生するものである」という考えの民族であると思うので、もともとは上記の「大いなるものへの同一化(没入)」しやすい人々であったと思う。

しかし、現代人は、戦後から世の中がどんどん西洋化していくに連れ、自分を取り巻く自然などの環境を自分から隔絶した「対象」と見るようになった。自然は操作の対象だ・・・と。キャリア(人生)についても、キャリア「デザイン」というように、操作できる、操作することが美徳というような感じがある。

もし、永遠の命を得たければ、永遠の命を持つものの一部に自分の身をささげなければならない。そうしようと、自然に思えるようなきっかけに恵まれることを、日々欲している。

嗚呼、没入したい。無我の境地になり、宇宙と合体したい。

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