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秘密の心理 〜隠すのは何故か〜

秘密の心理 〜隠すのは何故か〜

文章が長く、テーマが重いと言われたので、今日は短めに・・・仕事も忙しいし・・・。(でも、多分、僕はこれからもずっと、長く、重いことでしょう・・・根暗なのです)

昨日、昔の採用グループの同窓会というか新年会的なものがあった。

いろいろあって超寝不足だったので、ホットウーロン茶をゆるく飲みながら、うつらうつらと昔の同僚達の話をぼんやりと聞いていた。

昔は単身でやんちゃだった皆さんが、どんどん身を固めて、一人を除いてほぼ全員結婚していた。うち、2組は社内結婚で、夫婦とも僕もよく知っている人だった。

話の大方は結婚とか恋愛に関するもの。最近誰それが結婚したとか、ゼクシィに載った写真を見せつけられたり、そこに映ってた自分の写真が目がつぶってるだの、ぶさいくだのきれいだのというような他愛もない話。平和である。若いっていいな。

その中で出たことで、最初はつきあっていることを内緒にしていたという話があった。別に道ならぬ恋というわけでもなく、健全な若い独身男女が普通に恋愛をして結婚に至っているわけなので、別にオープンにしちゃえばいいじゃんという話が出て、そりゃそうだなと思い、なぜ秘密にするのだろうと興味を覚えた。

なぜ秘密にするのだろう。

彼女はまず「恥ずかしい」と言った。

彼はそんな付き合ったら恥ずかしいような人ではない。立派な若者である。ということは、人から自分たちの関係を冷やかされるから恥ずかしいのかな。

仕事上の付き合いが男女の関係に変わる瞬間は、強迫的な感情の波を普段仕事をしている間は理性の力で押し殺しているのが、負けてしまう瞬間とも言える。その負けたことに対する恥ずかしさ。私は、自分の欲望に勝つことができない、とても欲深い女です。そういうメッセージを周囲に与えてしまうのではないかということだろうか(もう、妄想の域に入っています。すみませんん)。

でも、それは裏を返せば、「仕事においては恋愛感情を持ってはいけない」という社会的な圧力にも屈しないほどその人を強く愛したということの証明でもあって、けしてマイナスなことではないとも思えるのだが。自分はどうなってもいい的な自己犠牲的ヒロイズムも感じられるし(大げさか・・・)。

まあ、彼女はそういう社会的圧力に対して弱いというか、従順な人なのだろうなー。確かに、とても常識的できちんとしている素晴らしい女性。「奥ゆかしい」と表現した方がきっとよいのだろう。

他にも秘密にする理由を妄想する(もう、完全に昨日の事実群からは遊離しています)。

秘密は人を結びつける。自分と相手だけしか知らない世界。秘密を共有することによって絆が深まる。

フリーメーソンみたいな秘密結社も、謎の儀式とかを何故か秘密にすることによって絆を深めているらしい・・・(という事実が周知されてるのも変ですが)。

人事部も、社内のいろいろな情報が公私にわたり入ってくるので、メンバーといろいろな秘密を共有することも多い。その分、(気のせいかもしれないが)集団としての結束力というか一体感というかは高いような気がする。

普通の部署でも、上司が一部の人達にだけ重要(というか、隠すから重要になるのかもですが)な情報を教え、そのことによって彼ら自身の存在の重要性を感じさせるようなマネジメント手法を採るマネジャーもいる。実際、「ここだけの話」を教えてもらったメンバーは、信頼され、重要視されていると誇らしく思ったりもすることだろう。

秘密は価値を高める。秘密にすることによって、実態以上の価値が生まれる。

隠されたものについては、想像するしかない。現実世界は有限だが、想像力は無限。そこにどんなものが隠されているのかについては、実態よりも大幅にすごいものを想像することも容易である。見てしまえば大したことはないものでも、隠すことでしょぼさを消し去ることができる。

人が服を着るのもそうだろう。脱いでしまえばみんな同じものがついている。しかし、それを隠すことで、何か特別なものがあるのではないかと想像させる。

神社のご神体や、お寺のご本尊も隠されていることがある。調査とか何かの拍子に実態を知ってしまうと、「なんだこんなものか」となるものが、それまではものすごいものとして人々に思われているようなこともある。

価値とは、結局、固定的な実体のあるものではなく、他者に対する影響力の程度なわけなので、実態があろうがなかろうが、相手が価値があると思って、そのつもりで動くのであれば、それは紛れもなく「価値あるもの」とも言える(不安定な価値ですが)。だから秘密として隠すことで人を動かすことができる。つまり価値を高めることができると言ってよい。

秘密は批判を防御でき、安心して妄想の世界に埋没できる。

世の中、オープンとか透明性ばやりである。そうすることで、他者の批判にさらされて、アイデアなどがブラッシュアップされていき良いものになる。企業や人が暴走するのを防ぐ。そういう現実の社会的な価値が、世の中を秘密主義から公開主義へとシフトさせている。

しかし、一方で人の内面世界は違う。人は非合理な幻を抱えて生きている。自分の生まれに関するストーリーや、なぜ彼・彼女を好きなったのかという理由、自分がこの世に生まれてきた使命について・・等々、様々な物語(幻)として、心のうちに持っている。意識的にせよ、無意識的にせよ。

そして、それらは人々が生きる上での大事なエネルギー源であることも多い。何故、彼・彼女が頑張るのか。それは自分が誰かに愛されているからとか、こういう星の下に生まれてきたからとか、そういう(本当は根拠の無い)物語によることが結構ある。

それをオープンにすることで批判の目にさらし、「いや、本当はそれは事実じゃないんじゃないか」とか「矛盾している」とか、否定し、つぶし、幻滅させることは、現実世界という本当は何の意味も無い不毛な場所に彼らを追放し、彼らのエネルギー源を奪う。

僕たちは出会う運命にあったのだと、非合理に思っている方が、二人の関係は安定的なものになる。逆説的だが、そういう妄想が現実世界の「成果」を向上させる効果があるのだ。

このように、秘密はそれ自体が魅力的な仕掛けなのかもしれない。

ただ、この仕掛けは、甘美な妄想だけに働く仕掛けではないのが難点である。過酷な妄想にも同じような機能を持つ。

秘密を交換したもの同志が裏切るようなことがあれば、その者に対する憎悪は深くなる。かわいさ余って憎さ百倍というところだろう。秘密にすることで、本当は大したことない悩みに悶々としなければならない。ぶっちゃけて、聞いてもらえば、すっきりすることも多いだろうに。秘密にすることで、つじつまの合わない妄想に囚われ続けてしまうこともある。

こんな場合は、秘密は本当は解消した方がよいのにね・・・。

現実には、うれしい秘密はつい人に言ってしまって、せっかくの秘密による価値向上を棄損してしまう。かなしい秘密は誰にも言えずに悪循環に悶々とする。

うまくいかないものだ。

結局、長く、暗く、重く、混沌とした感じのエントリーになってしまいました・・・嗚呼

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