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「自分」という枠組みの弱さ 〜幻と現実〜

「自分」という枠組みの弱さ 〜幻と現実〜

映画を見るとしばらくぼーっとしてしまう。

映画の世界に没頭し、主人公などに自分を重ね合わせてしまうため、映画が終了すると、「ここはどこ?わたしはだれ?」といういわゆる「見当識」と呼ばれる感覚が薄くなる。

映画館は暗いので、自分の姿を消すことができるため、単に家でDVDを見るよりも、普段の自分を取り巻く現実を消し去ることができ、より没頭できる。 
人からよく言われるのだが、ものすごい集中力で画面を凝視しているとのこと。そして場面に合わせて喜怒哀楽の表情をする様子・・(ちなみに息子が幼児番組を見る時の姿が僕に超似ているらしい・・・)。

実際、暗い映画などを見ると、とても気持ちがしんどくなる。映画の中で起こった悲しい出来事などは、まるで自分に起こったかのように感じてしまう。 心臓はどきどきし、目はうつろになり、息が荒くなる。ああ、しんどい。

なので、映画のエンドロールが延々と流れるのは自分にとっては、現実世界に戻ってくるための大事な時間。それが無いと、変化が急激過ぎてきつい。 よく本編が終わればすぐに席を立つ人がいるが、あんなにすぐ現実世界に戻れるものだと思う。

映画を観れば、現実に立脚した自分という存在がどれほど薄弱なものであるかがわかる。暗闇でいるだけで、どんどん崩れていき、スクリーンの上の幻にいとも簡単に同化してしまう。

結局、そんな弱い「自分」というものは、己の持つ幻想、妄想を現実世界に適応させて、実現化したものに過ぎず、そもそも幻想・妄想の方が主なのではないかと思う。

人は主観的な幻の世界こそが生きている場であり、現実から絶えず干渉を受けながら、大切な幻を守ろうとけなげに戦っているのではないか・・・。

正直言うと、僕自身、現実世界よりも、自分の中の非合理で曖昧で混沌だらけの「ワールド」の方が大切な気がしている。

無論、現実に立脚せねば、生きてはいけないのですが・・・。

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