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虚無感への手当てを 〜この経験を絶対に無意味にしない〜

虚無感への手当てを 〜この経験を絶対に無意味にしない〜

東日本大震災が起こってしまった。

被災された方々には心からお見舞いを申し上げたい。
まだ寒い東北では、避難生活もさぞかし大変なことであろう。
東京にいる僕は、自分にできることをちゃんとやって
復興までの長い道のりを支援していきたい。

関西で経験した阪神・淡路大震災の時にも思ったことだが、
天災は大勢の人の人生を一度に一気に変えてしまう。
それも無理やりに。抵抗することはできない。

そして何よりも辛いのはそんなに大きな変化に対して
なかなか「意味」が見出せないことだと思う。

地震が何故起こったかについて、物理的な理由は説明できるだろう。
プレートがどうにかなってしまったのだ。

なぜ愛する人や町が消えたのかについて、物理的な理由は説明できるだろう。
地震が建物を崩し、津波がさらって行ったのだ。

でも、それは到底納得できる「意味」などではない。
そんな乾いた冷たい理由によって、こんな悲劇が起きてよいわけがない。
絶対にだめだ。

まだ今は衣食住などの支援が重要な時期だとは思う。
一刻を争う問題がまだまだ残っていると思う。
今はそこに力を集中させるべきだろう。

次は、起こった悲しみの出来事を現実のものとして受け止めるという
地獄のような苦しみのプロセスを通り過ぎなくてはならない。

だが、衣食住の問題が解決されても、悲劇の直視というプロセスが終わっても
最後に待っているのは虚無感。

衣食住はいつか満たされる。悲劇の直視もいつかは終わる。
いつまでも目の前に厳然としたる現実を否定し続けられるものではない。

しかし、
人生を無意味に感じる虚無感は果てが決まっていない。

この虚無感に対する手当て、「意味」に対する手当てが必要だ。

僕は、そもそも人生はどこかにあらかじめ意味があるというものではないと思う。
人生の意味は、それぞれが作るものである。見つけるものではない。
いくら探しても自分の外側にはない。

だから、いかに苦しくても、
僕らは力を合わせて「意味」を「作って」いかなければならない。

答えは容易には見つからないと思うし、今は想像もつかないが、
僕らはこの天災という悲劇ですら、意味あるものにしなければならない。

被災された方々の経験を無意味なものにしては絶対にならない。

でもまだ何をすればよいか、僕もわかりません。
しばらく考え続けようと思います。

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