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うまく悲しむのでなく、悲しい出来事をなくす 〜「半径3m」と「1周4万キロ」〜

うまく悲しむのでなく、悲しい出来事をなくす 〜「半径3m」と「1周4万キロ」〜

東日本大震災が起こってから、ブログやツイッターなどでなかなか発信できなかった(まだできていない)。

理由はいくつかある。

一つは、あまりに大災害過ぎて、言うべき言葉が見つからなかった、純粋に呆然としてしまったという理由。

一つは、大悲劇の前では、くだらない冗談など言う気にならなかったという理由(最近は、明るくいかねばと思いなおしている)。

一つは、震災緊急用の情報を優先して伝えていただくための自粛が理由(なので、震災情報系のリツイートはよくしていた)。

最後の一つは、自分が身近なことだけしか意識していなかったため(いつも公言しているわけですが)、今回のような大災害の時にまず必要な世界の大きな枠組みを変えて行こうという視点の高い問題については、何一つ言えることがなかったという情けない理由。

こんな年齢になって、我ながら情けないが、改めて自分が大事にしている「半径3mの世界」は、見知らぬ人々の多大な貢献のおかげでなんとか成立していることを認識した(もちろん、わかってはいたのです)。

電気、ガス、水道、鉄道、道路などのインフラ。
経済活動のつながり。
人と人との間にある気持ち。

全部、何から何までつながっていて、相互に影響を与えあっている。

普通の時は空気のようになってしまい、その存在が見えなくなってしまうが、無くなるとすぐにわかる。そういうものに優しく囲まれて、自分が大事にしている「半径3mの世界」は成り立っていた。

(自分だけかもしれませんが)心理系の人はややもすると、社会に関心が薄い。人の心の内奥には興味があっても、社会問題やその原因や構造、そしてその改革などには関心が薄い。でも、人の心だって、結局は世界全体の(とても小さな)サブシステムなわけだから、関係がないわけがない。

今日、自分がとても悲しいのは、まわりまわって税制とかある社会制度のせいかもしれない。だけど、制度に目を向けることなく、心の中の問題だけでなんとかしようとしてしまう。

宗教もそういうアプローチが多いが、何か問題が起こった時に、世界を変えるのではなく、自分の心(認識・考え方等)を変えることで、問題を解決しようとしてしまう。

確かに、人は無力だから、世界なんて変えられないから、自分を変える(言いかえると「世界の現状を受入れ我慢する」)ことが、今を乗り切るには手っとり早い。世界を変えるなんて、とてもしんどいことだし、面倒なことだし、無理だと考えるのはよくわかる。悲しい出来事をなくすなんて無理だから、悲しいときに、うまく悲しみに対処できるような練習を積んだ方が早い、と。

しかし。

しかし、この東日本大震災のような難局に直面すると、そんな考えはナイーブすぎる気がしてきた・・・。

個々の人の心に、個別に直接手を当てていくことは絶対に必要である。それは前回も書いた。ただ、やはりそれは対症療法でしかなく、それだけで終わって、後は水に流してしまうというわけにはいかない。こんな悲劇は二度と繰り返してはいけない。悲しみ方がうまくなったってやっぱりだめで、悲しむようなことが起こらないような世の中にしなければいけない。

自分の世の中での役割は、個別具体的な世界での個別具体的な出会いを通して個別具体的な相手に何かサービスすることだとずっと考えてきたので、それはたぶん変わらないと思う。もう変われないと思う。

それでもこんな時には地球1周4万キロのレベルで物事を考えて、社会の枠組みレベルでの問題を解決することで悲しみが起こらない世の中に一歩でも近づくことに協力したいと思った。

自分ができなければ、そういうことができる人を応援したいと思う。

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